大判例

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東京地方裁判所 昭和30年(ヨ)4762号 決定

申請人 川村明 外四名

被申請人 大谷重工業株式会社

主文

本件申請を却下する。

申請費用は申請人等の負担とする。

理由

第一申請の趣旨

申請人等は、

「被申請人が昭和三〇年六月二七日申請人等に対してした解雇の意思表示の効力を停止する。申請費用は被申請人の負担とする。」

との仮処分命令を求めた。

第二当事者間で争われていない事実

一  被申請人(以下会社と略称する。)は、各種ロール、銑鉄圧延機、大型工作機械、一般鋳物および普通鋼の製造販売を主たる営業とする会社であつて、申請人等が別紙第一記載の日時に会社に雇用され、昭和三〇年六月二一日当時別紙第一記載の職務に従事していたこと

二  会社は、昭和三〇年六月二二日会社従業員の組織する組合に対し企業整備による会社羽田工場従業員の人員整理を行うことの申入れをし、申請人等は、同月二七日到達の書面により右人員整理を理由として会社から解雇の通告を受けたこと

は当事者間明らかに争われていない。

第三申請理由の要旨

申請人等は、「右人員整理は、昭和三〇年四月一五日結成された全国金属労働組合東京地方本部大谷重工業羽田工場臨時工員支部(以下、第二組合と略称する。)の結成ないし運営を阻害する目的のためになされたものであり、申請人等に対する解雇は、申請人等が別紙第一記載のとおりの第二組合の役員として正当な組合活動をした故にされたものであり、また申請人等を解雇することにより第二組合の運営を阻害する目的でなされたものである。」と主張する。

よつて、まず会社の人員整理が組合の結成ないし運営を阻害する目的でなされたものであるかどうかについて判断する。

疏明によれば次の第四から第六までの事実が認められる。

第四企業整備の必要

会社は、昭和二七年二月頃から羽田工場において製鋼事業を開始し、当初は平炉一基と電気炉とで操業していたが、平炉は同年九月一基、翌二八年一基と増設して合計三基の操業となり、昭和二九年六月から小型高炉の操業をも開始したが、同年下半期になつて、会社の製品販売先である鉄鋼業者の倒産が続出し、受取手形の不渡り八、七二〇万円に達し、昭和三〇年初頭から運転資金の欠乏をきたし、主要手持資材として平炉一基の三日操業分を保有するのみという行詰り状態になつたとき、子会社である株式会社大谷製鋼所が経営不振のため閉鎖し、同社に対する債権七億円が回収不能となつた。

当時会社は、銀行よりの借入金で一時小康を得たが、資材の入手は現金買によりその日暮しをするという状態となつた。

ところが、会社は東亜商事株式会社の倒産により五、五〇〇万円の損害を受け、同年三月には株式会社定兼商店に約六、〇〇〇万円の不良債権を生ずるに至つた。

以上のため、会社は資材購入の資金に事欠くに至つたためと、資材納入業者から会社の将来に不安をいだかれ、資材の納入をためらわれたためとにより、事業場において資材切れのため漸次施設の稼動を休止するに至つた。

すなわち、同年二月頃から平炉は一基のみ稼動し、同年三月頃から高炉は細々と操業を続けたためほとんど従業員を要しなくなり、遂に同年四月から操業停止となり、電気炉は断続的に操業する程度となつた。

会社は、所有資産の売却等をもしたが、到底自力回復は不可能のため、同年五、六月頃北陸、大和各銀行、日本鋼管、富士製鉄から平炉一基操業に必要な資金等の援助を受けることとなつたが、資金等の援助者側は、会社に対し当時の材料の入手難、平炉の主原料である銑鉄の日本鋼管よりの供給の限度(平炉一基分のみ)、資金手当実現後も信用回復には程遠い会社の能力等を検討して資金援助の条件として、材料切れのため休止している小型高炉および平炉二基と電気炉のように断続的に稼動しているため採算割れの作業場の廃止、これに伴う人員整理による実質経費の削減を主とする経営の合理化を要請した。しかも、資金等の援助は、右の要請履行の実績に応じて実施することとされた。

会社は同年六月中旬頃当時の窮況を脱するためには、右要請を受け入れて援助を得るほかに途がないので、当時休止中の羽田工場の平炉二基、小型高炉と断続的操業では到底採算のとれない電気炉を廃止することに決定し、従つて会社は製鋼部門としては、平炉一基のみを操業することとなつた。

第五人員整理とその基準

会社は当時まで稼動施設の休止にもかかわらず人員整理を行つていなかつたが、右事業縮少と共に、人員整理(総数一九五名、なお羽田工場の全従業員は当時約六〇〇名であつた。)をすることとし、その頃次の整理基準を作成した。

一  会社羽田工場の小型高炉、電気炉は操業を廃止し、これに所属する従業員(小型高炉所属二七名、電気炉所属三一名)は全員解雇する。ただし、小型高炉の保守責任者二名を除く。

二  平炉所属従業員は、平炉一基操業に必要な人員を残し他は解雇する。ただし、保守責任者、操業継続に必要欠くべからざる者若干名を除く。

すなわち、会社は昭和二九年の年間平炉生産状況により技術的に平炉一基の要員として必要とする人員数を別表第二のとおり一一〇名と算出し、その余を解雇するを基本とする。

右残置者決定の具体的基準として、平炉所属の全従業員を職種別、入社順に記載した人名表を作成し、会社が平炉一基だけを操業していた昭和二七年七月(同年八月以降の採用人員は、平炉二基の要員として採用された。)を以て一線(以下、Z線と称する。)を画し、以後入社の者は原則として解雇する。ただし、原料工のみは、昭和二七年七月当時は、小柳工業という下請会社に原料工の仕事を請け負わせていたので、入社順に別表第二の必要人員を残置し、その余を解雇する。

なお、(一)長期欠勤者、(二)非能率者、(三)資格上支障のある者(例えば、起重機運転工で免許を有しない者)および修理は機械課で行うこととしたため、(四)平炉所属修理工も解雇することとした。

従つて、

(一)  平炉工については、Z線内の者二四名(ただし、長期欠勤者で解雇に該当する者一名を除く。)で、別表第二の必要人員は二六名なので、Z線外から二名残置させることとなる。そこで、Z線内の者で三交代の組を新編成するとすれば、炉前二番手、同六番手の各一名が欠員となるので、Z線外から該当番手中最優秀者各一名を残置する。

(二)  造塊工については、Z線内の者は三七名であるが、内一名は長期欠勤者で解雇に該当するので三六名となり、結局別表第二の必要人員と合致する。

従つて、Z線内の者のみ残置する。

(三)  起重機工については、無免許のため資格上支障のある者という解雇基準該当者と残置する保守責任者一名を除き、起重機工を入社順に配列すると、Z線内の者一九名となる。

しかし内退職希望者が一名いるので、結局別表第二の必要人員に三名不足することとなるが、Z線内の者で編成するに不足な装入機運転者二名(Z線の次位および次々位の者)とZ線外で最も経験も豊かで、大型プレスの起重機運転の経験もあつて、倉庫係から残置の要請のあつた臼井豊次郎を残置する。

なお、当初より保守責任者として採用された山本鹿蔵も残置する。

(四)  原料工については、入社順に別表第二の必要人員だけ残置する。その結果昭和二八年一〇月以前入社の者のみ残置されることとなつた。

(五)  汽罐工、機械運転工、溶接工は別表第二の必要人員のみしか在社していないので全員残置する。

三  以上の会社に残置する者以外は解雇することとなるので、結局平炉所属従業員の解雇基準は、原則として

(一)  入社年月日の新しい者

(a) 平炉工 昭和二七年八月一日以降入社の者三七名該当

(b) 造塊工(築炉、煉瓦を含む。) 昭和二七年八月一日以降入社の者二三名該当

(c) 起重機運転工 昭和二七年八月一日以降入社の者二四名該当

(d) 原料工 昭和二八年一一月一日以降入社の者三〇名該当

(二)  資格上支障のある者

起重機運転見習(免許を有しない者)

一一名該当(内七名は(一)の(c)にも該当)

(三)  職場の廃止となる者

修理工

七名該当

(四)  出勤正常でない者

長期欠勤中の者一〇名該当(内八名は、(一)の各号にも該当する。)

(五)  非能率者

これに該当するほどの者はなかつた。

(ちなみに、申請人等は、原料係内堀敏夫がこの解雇基準に該当するにかかわらず解雇されていないと主張するので、ここでこの主張に対する判断をする。

なるほど同人が酩酊して警備員と争い夜勤作業をしなかつたため、処分されたことは被申請人も争つていないが、かかる事件を別にして、同人の平常の勤務成績が右解雇基準に該当するほど不良であつたと認めるに足りる疎明はなく、また前記事件だけでは、この解雇基準に該当するものとは認められない。)

ということとなつた。

四  申請人後藤亮一は、電気炉、同平沢金造は、小型高炉の各従業員として解雇の対象となり、申請人川村明、同菅野安一は平炉所属原料工として三の(一)(a)の、申請人鏑木武男は、平炉所属造塊工として三の(一)(b)の各解雇基準に該当するとして、前記のとおり解雇の通告を受けた。

第六人員整理に関する組合との交渉

会社は前記のとおりの解雇の方針を定め、昭和三〇年六月二二日人員整理を行うに至つた事情、右解雇基準と被解雇者の指名発表を同月二七日、解雇実施日を同年七月一日とする旨を記載した文書で団体交渉の申入を当時会社従業員の組織している全国金属労働組合東京地方本部大谷重工業羽田工場支部(主として製鋼課員以外の職員および本工員をもつて組織する組合、以下第一組合という。)第二組合(申請人等の所属する組合、主として製鋼課、鋳造課等の臨時工員をもつて組織する。)および大谷重工業製鋼労働組合(主として製鋼課所属従業員で組織する組合、以下第三組合という。)に対し前記人員整理に協力を求めた。

会社は、同年六月二二日から右三組合と団体交渉に入り、第二組合と一一回、第三組合と一〇回程度の交渉の結果、同年七月一三日第三組合は被解雇者に対し一人平均一五、〇〇〇円を支給すること、会社が閉鎖作業場の再開を行う場合被解雇者より優先的に採用することなどの条件の下に会社申入の人員整理をやむを得ないものと承認し、翌一四日第二組合も組合大会の決議を経て前同様の条件で人員整理を承認し、何れもその旨の協定書を作成した。

この点に関し、申請人等は、会社々長大谷米太郎が昭和三〇年七月二日自宅に第二組合執行委員長大石長市、同書記長小池勇次郎を呼び、会談した結果、大石等の態度が変り組合活動に不熱心となり、反組合的発言をして結局組合をして解雇反対闘争に敗北させるに至つた。以上の結果は、会社側が大石委員長等を個人的に懐柔したことによるものである。また大谷米太郎は、昭和三〇年六月二七日頃第二組合に対し「今度の解雇を承知なければ、残つた者の六月分の賃金も払えないかも知れない」と発言し、組合内部の分裂ないし切崩しを策したと主張する。

しかし、大石等が社長の会見の申込に応じたのは闘争委員会の議によつて行われたものであり、その会談の際同人等が社長等より利益を以て誘導されたともまた会社が組合大会に際し何等かの手段をとつて解雇承認の決議をなさしめたと認めるに足りる疎明はない。

また団体交渉の席上大谷米太郎が申請人等主張の言明をしたとしても、会社が賃金の支払が可能なのにかかわらず、第二組合のみに対する威圧策としてかかる言明をしたと認めるに足りる疎明はなく、むしろ前記認定のように援助者側は、会社の企業合理化の実績とにらみ合せて資金等の援助を行う建前であつたから、本件人員整理が円満に実施されるかどうかを今後の資金等の援助の目安として注目していたものと認められるので、会社側としては、右人員整理に関して組合と抗争状態に入つた場合まで的確な資金上の見透しを持つていなかつたと推認される。

従つて、前記発言が特に第二組合の切崩し等を意図したものとは認められない。

なお、第一組合は、その組合員に本件人員整理に該当する者がなかつたので、数回の団体交渉を経たのみで終つた。

第七右人員整理と第二組合の運営に対する阻害の意図

一  申請人等は

(一)  会社は、昭和三〇年二、三月企業整備の必要が存したのにかかわらず、これを行わず、申請人等が同年四月一五日第二組合を結成し、遅怠中の賃金の支払促進の要求をし、同年六月一四日頃から夏期手当一人当り一万円の要求をするに至つて、これを抑圧するため本件人員整理を行い

(二)  会社は、企業整備に際し、配置転換を全然考慮せず、小型高炉電気炉および平炉の修理係の職場のように職制以外ほとんど全員第二組合員である職場を廃止し、同職場従業員の就業年限、技術のいかんを問わず、職場廃止の理由のみで全員解雇し

(三)  希望退職者も解雇基準該当者からのみ募り

(四)  前記解雇基準も会社の就業規則で定める満五〇歳の停年制を無視して作成し、

(五)  昭和二七年二月平炉一基操業当時より当初は会社の下請である小柳工業の従業員として働いていた者は、経験年数としては、昭和二七年二月から計算して然るべきものであるのに、昭和二九年二月形式上会社従業員となつた日を基準として解雇基準に該当せしめる手段をとり

などすることにより第二組合員を大量に解雇し、もつて同組合の切崩しを図つたものである。

と主張する。

二  疎明によれば、

(一)  申請人川村明、同菅野安一等が昭和三〇年三月二一日第一組合に加入を申しこみ、それが拒否されたため(第一組合は、臨時工を加入させると会社から圧迫を受けるという理由で拒否したとの申請人等の主張事実を認めるに足りる的確な疎明がない。)、右両申請人等が同年四月一五日臨時工員のみで第二組合を結成し、申請人川村明が執行委員長、同後藤亮一が副委員長、同菅野安一が執行委員となり、申請人川村明において同月一八日会社に対し第二組合結成の通告をしたこと。

(二)  次いで第二組合は、第一、第三組合等と共に当時遅怠していた賃金支払促進の団体交渉に入り、同年五月二三日賃金支払に関する協定を締結したこと。

(三)  同年五月二六日第二組合の臨時大会において役員改選が行れ、申請人川村明、同後藤亮一が副委員長に、申請人平沢金造が執行委員、教育宣伝部長となり、この旨会社に通告されたこと。

(四)  同年六月一五日第一、第二、第三各組合が共同して夏期手当一人一万円の要求をしたが、会社は同月二一日の団体交渉においてこれを拒否し、翌二二日前記整理解雇の申入をしたこと。

(五)  前記解雇基準によると、第一組合員には解雇該当者がなく(第一組合は、会社製鋼課以外の職員、本工員で組織されており、本件人員整理は会社製鋼部門において行われたため、第一組合員には解雇該当者がなかつた。)、第二組合については、同組合員が八〇パーセント以上を占めていた職場である電気炉、小型高炉が何れも廃止され、これに所属していた第二組合員全員(電気炉所属二三名、小型高炉所属二四名)が解雇され、平炉所属第二組合員の被解雇者と合わせて、合計一四〇名(昭和三〇年六月二〇日現在、甲第二二号証による。なお、同年七月一四日現在では一五四名、乙第二六号証の二による。なお、第二組合員全員は昭和三〇年六月二〇日頃大体二五〇名から二七〇名くらいであつた。)が解雇されたこと。

(六)  前記人員整理により第二組合の役員で解雇されなかつた者は、小池書記長、小松原渉外部長、外一名の職場委員程度でその余の役員は全部解雇されたこと。

(七)  昭和三〇年七月八日の団体交渉において、会社が石谷新の交渉委員として出席することを拒否したこと。

が認められる。

三、(一) しかし、一の(一)については、昭和三〇年三月以降会社の経営状況が好転したと認められる疎明はなく、却て前記認定のような経営状況の下において、原料切れのため休止中の平炉二基、小型高炉および断続的操業のため、到底採算のとれない電気炉に必要な従業員を擁していては、特別の事情のないかぎり、同月以降も経営状況が急迫して行くものと認めるのが相当であり、殊に会社に自力再建の能力がないため日本鋼管等から、援助を受ける外ないのであるから、前認定の援助の条件を変更させることはまず不可能であつたと認める外なく、更に平炉の主要原料の一である銑鉄については、日本鋼管からの供給限度が平炉一基分であることなど前認定の諸事情から見ると、会社は、昭和三〇年六月頃は平炉二基、小型高炉、電気炉の操業を廃止し、製鋼部門としては平炉一基操業に事業を縮小し、余剰人員を整理し経費の削減を図ることを余儀なくされた経営状態にあつたものと認めるのが相当であり、また当時としては近い将来会社の経営が好転し、操業を廃止した施設の再開を期待できるような客観状勢は何もなかつたものと認められるので、会社主張のように企業縮少による人員整理の必要性を肯定せざるを得ない。

次に賃金の支払促進の要求も、夏期手当の要求も何も第二組合だけの要求ではなく、三組合共同の要求であつたことが認められる。

一方、申請人等が会社の第二組合敵視の例として主張した(イ)会社が昭和二九年一〇月頃石谷新を同人が会社製鋼課内に組合を結成しようとしたことを理由として解雇したこと、(ロ)会社が申請人等において第二組合を結成したことに対抗して同組合を抑圧するため、同年五月一五日職制を中心とした御用組合である第三組合を結成させ、同組合員をして第二組合員に対し不利益な差別待遇が与えられる旨宣伝させたこと、(ハ)第三組合の執行委員長山本鹿蔵が解雇基準に該当するにもかかわらず、御用組合の委員長たる故をもつて解雇されなかつたこと、(ニ)会社が第二組合にのみ不当に団体交渉を拒否したこと、(ホ)人員整理後第三組合員のみを再雇用し、または同組合員を多数再雇用したことの疎明はない。

従つて申請人等主張のように、会社が第二組合の要求等に対する対抗策として殊更らに前記のような事業縮少人員整理をしたとはたやすく認められない。

(二) 一の(二)については、当時会社には製鋼部門の縮少による余剰人員を配置転換により吸収できる職場があつたと認めるに足りる疎明はない。

従つて、電気炉、小型高炉の職場廃止がやむを得ないものであり、同職場員の配置転換が不可能であつた以上同職場員の解雇もまたやむを得ないという外なく、更に別表第二の必要人員の決定ないし平炉所属の修理係の廃止(申請人等は、同係の廃止は、職制を除く全員が第二組合に加入したためであり、その職制もその責を問われて、同人のみ職制でありながら、例外的に解雇されたと主張するが、これを認めるに足りる疎明はない。同係の廃止は平炉一基のみとなれば、修理作業は減少し、専門である機械課員によつて十分まかなえるとの考えによると認められる。)が不合理であると認めるに足りる疎明がないのであるから、前記操業の縮少に伴い人員整理はやむを得ないものと認める外はない。

申請人川村明の陳述および甲第二一号証中会社社長大谷米太郎が被解雇者が五、六〇名多すぎると言明したとの点はたやすく信用することはできない。

また副職長勝田が昭和三〇年七月二七日頃「三〇名程入れたいが訴訟する者がいるから、いま入れると工合が悪い」と言明したとの点については疎明がない。

更に会社が昭和三〇年六月前記整理基準を作成する前に一部の組合員を除いて、何人が第二組合員であるか判明していたとの点について的確な疎明なく、却て第二組合としては、正式に会社に組合員氏名を通告したことがなく、勤労課長その他の職制に対してもその氏名をかくしていたので、会社側が第二組合員中の被解雇者の氏名を確実に知つたのは、昭和三〇年七月一四日頃と認められる。

以上の事情から見ると、会社が小型高炉、電気炉および平炉の修理係の職場を廃止し、同職場従業員を全員解雇したことは特に第二組合員のみを大量に解雇する手段としてなされたものとは認められない。

(三) 次に一の(三)については整理基準において、就業規則で定める満五〇歳以上の者を特に整理の対象としなかつたことが認められるが、就業規則第五八条によれば、停年は一応五〇歳と定められているが、同条但書により会社が業務上必要と認めた者は更に勤続を延長することができると定められていること、会社が昭和二七年二月平炉の操業を開始した当時他から年配の熟練工を採用し、これに素人工を教育させて操業していたことが認められるから、整理基準作成当時は、平炉操業の必要上五〇歳以上の者を整理の対象とすることができなかつたことによるものと認められる。

次に一の(四)の希望退職者を解雇基準該当者からのみ募つたことも、会社は給料遅払のため、従業員から前途に不安をいだかれていたため、比較的他に就職の可能性の多い熟練工に多数退職されることをおそれたことによるものと認められる。

従つて、前記一の(三)(四)の両措置も共に第二組合員にのみ多数の解雇者を出させる目的で採用されたとは認められない。

(四) 次に一の(五)の原料工について下請会社である小柳工業の従業員として、会社の平炉について会社原料工と同一の職務についていた期間を考慮しなかつたのは、会社が本件人員整理については、各職種の中で経験も長く、技術もすぐれている者のみを選抜して残置するを原則とする方針というよりは、むしろ会社に一貫して長く在籍した者を残置する方針をとつたことによるものと認められる。

そして、かような解雇基準は、すべての職種を通じての基本であること、また原料工は原料の配合に関する責任者とその補助者を除いては、単純な労務に服する職種で特に技術、経験を必要とする程の職種でもないことを考え合わせると原料工について小柳工業における経験を考慮しなかつたことが特に不当とも又は特に第二組合員のみを大量に解雇する手段としてされたとも認められない。

四  以上の諸点なお前認定のとおり、会社は企業経営の必要上事業の縮少に迫まられたこと、縮少に伴う余剰人員を配置転換により吸収できなかつたため人員整理はやむを得なかつたこと、その整理基準は、原則として廃止職場所属の者と縮少して操業を続ける部門においては、各職種の必要人員を定め、その人員だけ入社順に残置するという比較的恣意の介入する余地のない基準によつたこと、会社側に第二組合の組織状況が知悉されていたとの疎明がないこと、第三組合員六、七〇名中約半数が解雇されたことなど考え合わせると、前記二の各事実にもかかわらず、会社が企業整備に藉口して第二組合の活動を抑圧し、その運営を阻害するため前記人員整理をしたものとも、また右企業整備に便乗して特に第二組合員を大量に解雇し、その勢力を減殺し以て同組合の運営を阻害することを図つたものとも認められない。

前記二の(七)認定の会社は石谷新が交渉委員として出席することを拒否したことは必しも正当とは認められないが、ただこの一事だけで前記認定を覆すに足りる事情とは認められない。

第八申請人等の解雇と不当労働行為

申請人等は、申請人等に対する解雇は、会社が前記人員整理に便乗し、申請人等が別表記載の組合役員として第七の二(一)ないし(四)に掲記の正当な組合活動をしたことを理由としてなされたものであり、また申請人等を解雇することによつて第二組合の運営を阻害せんとするものであると主張する。

よつて、次の順序に従つて判断する。

一  申請人等が別表記載の組合の役職についたことは疎明がある。

しかし、申請人菅野、同鏑木が別表記載の役員となつたこと、申請人平沢金造が昭和三〇年四月一三日第二組合の結成準備委員、同月一五日執行委員となつたことを会社が昭和三〇年六月二二日までに知つていたとの疎明はない(ただし、申請人菅野、同鏑木が定員外ではあるが団体交渉に出席したことの疎明はある。しかし、その日時が昭和三〇年六月二二日以前であつたことについては疎明がない。)

その余の申請人の第二組合の役員の就任、殊に申請人川村明が第二組合結成の中心的人物であつたことおよび申請人平沢金造が昭和三〇年五月二六日第二組合の執行委員、教育宣伝部長就任の事実は、会社において同年五月三一日までに知つていたものと認められる。

二  申請人後藤亮一は電気炉所属、同平沢金造は小型高炉所属の従業員として、右各職場の廃止の理由より、右職場所属の全従業員(ただし、小型高炉の保守責任者二名を除く。)と共に解雇該当とされたものである。

前記認定のとおり、会社は企業整備の必要から小型高炉、電気炉の操業を廃止する外なかつたこと、そして右職場廃止が第二組合員の大量解雇を目指してなされたとは認められないこと、右廃止職場の従業員を配置転換する可能性のなかつたことから全員解雇されたことを考え合わせると申請人後藤亮一、同平沢金造が第二組合役員として組合活動をした故に不利益な差別待遇を受けたと見ることはできない。

この点について、申請人等は会社々長大谷米太郎が昭和三〇年七月二日自宅で第二組合の執行委員長大石長市等に対し「そば屋の息子と坊主頭の目のクリクリしたのと若いのは、会社が首切りを撤回するようなことがあつてもやめさせる。」と発言したこと、右にいう「そば屋の息子」は申請人後藤亮一であり、「坊主頭」は同平沢金造であり、「若いの」は同川村明であるから、同人等に対する解雇が不当労働行為意思をもつて行われたことは明白であると主張する。

しかし、右社長の発言はその発言部分だけ他の発言と切り離されて伝聞によつて疎明がなされたに過ぎないので、どのような意図に基いてその発言がなされたか遽に断定し難く、従つて申請人等主張の趣旨の差別待遇意思をもつて右発言がなされたとの点については的確な疎明がないが、仮にその主張のように社長が右三名の組合活動を嫌悪し、その故の差別待遇意思を表明したとしても、このことからは本件解雇が撤回されるとき若しくはその後更に不利益処遇がなされる場合に差別待遇の意図の存在又は平素右三名を嫌悪していたことが認められるに止まり本件解雇自体が当然に右差別待遇意図の実現と速断することはできない。また前記認定のとおり会社は当時小型高炉、電気炉所属従業員を全員解雇せざるを得ない合理的根拠の存在が認められるので、右発言をもつて、この認定を覆えし会社が申請人後藤亮一、同平沢金造を会社から排除するため擬装的に職場を廃止したり、或いは全員解雇の外観をとつたものと認定すべき事情となすに足りない。

なお甲第二四号証(川村明の陳述書)にあるように「その二、三人を首切るために一九五名で輪をかけ不当労働行為をまぎらわそうとした」ものともたやすく考えられない。

また露天に設置された小型高炉の保守責任者として二名を残置すること、保守責任者二名には高炉について二八年以上の経験を有する者が選ばれ、経験一年未満の申請人平沢金造がその選にもれたことが特に不当な意図で行われたものとは認められない。

従つて、申請人後藤亮一、同平沢金造が第二組合役員として正当な組合活動をした故に差別的に解雇されたものであり、同人等を解雇することによつて第二組合の弱体化を図つたものとは認められない。

三  申請人鏑木武雄は平炉所属の造塊工であつて、造塊工に関する昭和二七年八月一日以降入社の者という解雇基準に該当するものとして解雇されたものである。

前記認定のとおり、会社は当時製鋼部門を平炉一基の操業のみに縮少せざるを得なかつたこと、平炉一基の造塊工の必要人員は別表第二のとおり三六名であつて、造塊工のZ線内の者三七名内一名は長期欠勤者として解雇に該当するので、結局一名を除いて造塊工は入社順にZ線内の者三六名が残置されたのである。疎明によれば、申請人鏑木は入社順ではZ線以下二九番目であることが認められる。

そして会社は、当時製鋼部門の事業縮少に伴う余剰人員を配置転換すべき職場がなかつたことから見ると、造塊工の平炉一基要員である三六名を入社順に残置し、残余すなわち入社年月日の新しい者を解雇することは必しも不合理とも思われないし、申請人鏑木が第二組合の執行委員として活溌な組合活動をしたことが昭和三〇年六月二二日以前に会社に印象つけられていたことの的確な疎明もないので、かかる解雇基準を設定することによつて特に申請人鏑木武雄を忌避してこれを排除する目的で作成されたものとは認められない。

なお、同申請人は、昭和二七年三月入社したが昭和二八年八月退社し、翌二九年八月再入社した者であるから、経験年数、実質上の在社年数共に残置者より長いのに後の入社日を基準として解雇されたのは不当であると主張する。

しかし、会社は、本件人員整理については、廃止職場の保守責任者等の例外を除いて、技術が優秀な者又は経験の長い者のみを特に選抜して残置するというよりは、むしろ原則として全職種を通じ会社に一貫して長く在社していた者を残置しようとする方針であつたことは、前記認定の整理基準からうかがえるし、また一度退職した者はそれが会社側の一方的解雇であるとか或は労働者側の傷病のためというように甚しく自由意思の束縛された理由等特別の事情のないかぎり会社から企業に寄与する意思の低いものとして先任の順位決定の際退職前の在職期間を通算されない取扱を受けても無理からぬところであるので、再雇用者の後の入社年月日を基準として、前記解雇基準該当の有無を決することは不当ともいえないし、また特に申請人鏑木武雄の組合活動を嫌いこれを解雇しようとする特別の意図でかかる取扱をしたとの疎明もない。

従つて、申請人鏑木武雄が第二組合の役員であるが故に差別的に解雇されたものともまた同人を解雇することにより第二組合の弱体化を図つたものとも認められない。

四  申請人川村明、同菅野安一は原料工であつて、原料工を入社順に配列して別表第二の必要人員だけ残置すると、申請人菅野安一はその次位、申請人川村明はそのあと一八位に位するので、右両申請人は、原料工に関する昭和二八年一一月一日以降入社の者という解雇基準に該当するとして解雇されたものである。

前記認定のとおり、会社は製鋼部門としては、平炉一基操業に事業を縮少する外なかつたこと、平炉一基操業するについて原料工の必要人員は別表第二のとおりであること、その余剰人員を配置転換する可能性のなかつたことから見ると、原料工を入社順に必要人員のみ残し、その余を解雇することは必しも不合理とはいえないし、かかる基準は、全職種を通じての基準でもあることから見ても、特に申請人川村明、同菅野安一をその組合活動の故に解雇する目的で作成されたと認めることはできない。

なお、申請人川村明が入社当初溶接工の仕事に従事していたことは被申請人も争わないところであるが、当時会社が申請人川村明を溶接工ないし他の職種に配置転換させることができたと認めるに足りる疎明はない。

更に申請人川村明は、前記会社々長大谷米太郎の昭和三〇年七月四日大石長市等に対する発言から、同申請人に対する解雇が不当労働行為意思でなされたことは明白であると主張する。

しかし前判断のとおり、かかる発言だけでは、当初の解雇基準設定のときから、もつぱら申請人川村明をその組合活動の故に差別待遇する目的であつたとまでは推認できないから、かかる発言があつたとしても前認定を覆えすに足りる資料とも考えられない。

なお、申請人菅野安一は入社順としては、残置者の次位であるが、同人が活溌な組合活動家であつたことが昭和三〇年六月二二日以前に会社に印象づけられていたと認めるに足りる疎明もなく、また特に同人を解雇する意図で別表第二の必要人員の算出上手心を加えたと認めるに足りる疎明もない。

更に小柳工業に在社していたとの主張、立証のない申請人川村明、同菅野安一が、小柳工業の在社期間を考慮すべきであるとの申請人等の主張(第七の一の(五)参照)により本件解雇基準に該当しなくなるものとはたやすく考えられない。

以上のとおり、申請人川村明、同菅野安一が第二組合の結成ないしその役員として正当な組合活動をした故に差別的に解雇されたものとも、また同人等を解雇することにより第二組合の弱体化を図ることを主たる目的として解雇されたとも認めるに足りる疎明はない。

第九結論

以上のとおり、申請人等の本件申請はすべて理由がないから、これを失当として却下し、申請費用の負担について民事訴訟法第八九条を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判官 西川美数 大塚正夫 花田政道)

(別紙第一)

経歴書

川村明

○会社経歴

昭和二九年二月一五日入社

羽田工場製鋼課原料係勤務

○組合経歴

昭和三〇年三月下旬 組合結成発起人となる。

同年四月一三日 結成大会準備委員となる。

同年四月一五日 委員長となる。

同年五月二六日 副委員長となる。

後藤亮一

○会社経歴

昭和二七年三月二二日入社

羽田工場鋳造課電気炉係勤務

○組合経歴

昭和三〇年四月一三日 結成大会準備委員となる。

同年四月一五日 副委員長となる。

同年五月二六日 副委員長となる。

菅野安一

○会社経歴

昭和二八年一一月一〇日入社

羽田工場製鋼課原料係勤務

○組合経歴

昭和三〇年三月下旬頃 組合結成発起人となる。

同年四月一五日 執行委員となる。

平沢金造

○会社経歴

昭和二九年七月七日入社

羽田工場製銑課高炉係勤務

○組合経歴

昭和三〇年四月一三日 結成大会準備委員となる。

同年四月一五日 執行委員となる。

同年五月二六日 執行委員教育宣伝部長となる。

鏑木武雄

○会社経歴

昭和二七年三月入社

昭和二八年八月退社

昭和二九年八月五日再入社

羽田工場製鋼課造塊係勤務

○組合経歴

昭和三〇年四月一五日 執行委員となる。

同年五月二六日 執行委員となる。

(別紙第二)

平炉工

{(組長1)+(炉長1)+(炉長補1)+(2番手1)+(3番手1)+(4番手1)+(5番手1)+(6番手1)}×3=24

24+(職長1)+(雑1用)=26

26名

平炉一基操業に必要として残置せしめる人員

原料工

{(原料ヤード3)+(平炉台2)}×3=15 15+(常昼責任者1)=16

16名

造塊工

{(組長1)+(注入方1)+(鋳鍋方責任者1)+8}×3=33+(鍋修理4)=37

37名

起重機工

7×3=21+(保守責任者1)

22名

汽罐工

2×3=6 6名

機械運転士

1×2=2 2名

溶接工

1名

110名

注 3または2を乗ずるのは、一日三交替または二交替で作業するため、一交替に要する人員を算出しそれに交替数(3または2)を乗じてその職種の必要人員を算出するにある。

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